過去旅行記・トゥクスパン編について
当記事は、2010年にアグアスカリエンテスで生活していた頃のお話です。メキシコシティ時代のスペイン語学校で一緒だった同級生がベラクルス州トゥクスパン(TUXPAN・VERACRUZ)にある日系企業へ就職したので、その友人を訪ねて旅した時の様子を、別ブログで綴っていたものを当時の内容でほぼそのまま書き直したものです。日記的な記事なので旅の雰囲気をお楽しみください。
※2010年当時、メキシコシティはDF(Distrito Federal)という愛称で呼ばれていたため、その当時の呼び方で書いています。ちなみに現在はCDMXという愛称になっています。
ベラクルスのピラミッドといえばエルタヒン!
日曜日はアグアスカリエンテスまで帰らないといけなかったので、
観光できるのは半日だけでした。
トゥクスパン近郊の町、ポサリカ(POZA RICA)の近くに
エルタヒンというピラミッドの遺跡(世界遺産)があります。
朝の6時に起きて7時に出発しよう!
という計画で6時にめざましかけたのはいいのですが、
6時から何度も何度もアラームがなっているにもかかわらず、誰も起きず。。。
まったく無視。
寝ぼけながらに「1時間ぐらいなら遅れてもいいよね。私15分あれば出れるから」
と伝えてからまた眠りました。
気がついたら8時近くでした(笑)
ちゃんと早起きしていれば
9時には遺跡に着く予定だったのですが、
出発が遅れた上に、ポサリカのセントロでナゾのデモ行進による渋滞にはまり、
その後の田舎道でも住宅街に迷い込んでしまったり。。。
結局着いたのは
10時過ぎていました。
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このエルタヒン遺跡の中でも有名なのは、壁がんと言われる四角いくぼみが各面にあるピラミッドです。
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一面につき91個の壁がんがあり、上部に一つ。
計365個の壁がんがあります。太陽暦の日数と同じ数ですね。
そもそもこの聞いたことのない「壁がん」というものすら何であるかよくらからないのだけど、
間近に見ても一体何のために造られたものなのか、見れば見るほどナゾが深まるばかりでした。
こうやって太陽暦に合わさった数ぶんのマス目が造られていると思うと、
カレンダー代わりに使っていた何かなのかな?と。
素人のような発想しか思い浮かばず。。。
このピラミッドは祈祷のために建てられたものともいわれているので、
きっと神として崇められていた重要なものであったのでしょう。
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このピラミッドはかつて赤や青、黄色などに塗られていたそうです。
赤い色などは部分的に残ってるのが見ることができました。
全体的に色に染まった巨大なピラミッドはさぞ美しかったんでしょう。
なんだか何百年、何千年も前の人たちのかつての都を想像するとロマンに浸ってしまいますね。
正直、メキシコに来る前までは遺跡ってまったく興味がありませんでした。
でも数々の遺跡をメキシコで見ているうちに、
今の時代しか知らないなんてなんだかもったいない気がしてきました。
しかし過去のことはこうやって残された遺跡で知ることができるけど、
未来が見れるものがあったらもっとおもしろいかもですね。
まぁ、未来が見えたらよくないことのほうが多そうですが。というわけで前言撤回(笑)
ちなみにガイドしてくれた友人は遺跡にはまったく興味がないみたいです。
でも客人が訪ねてくると、接待がてらによくこのタヒン遺跡を案内しているのだそうです。
じっとしてるだけでも汗がダラダラたれてくるほどの暑さの中、
運転にガイドに、何から何までアテンドしてくれた友人には本当に感謝。
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バイバイ、トゥクスパン。
帰りはポサリカのターミナルからメキシコシティの北ターミナルまで約5時間。
1時間の乗り継ぎで北ターミナルからアグアスカリエンテスまで6時間。
計11時間の長いバス旅。マジ疲れましたぁ。。。
でもそれでも旅行はやめられないです♪
今回トゥクスパンの旅はきっといい旅になるだろうと予感していました。
そしてその通りに、充実したいい旅でありました。